南濱墓地 墓石調査 Dブロック
まずは配置図を作成しました。
各列をA~Vとしてそれぞれの墓石に番号をふって A-3 のように区別します。(あ~面倒だなあ)
青い四角は一族墓で、現在も祀られています。他に祀られているのは小数です。
この列は17基で、1基だけが新しい墓です。
花立はたぶん一番奥の墓の持ち主の好意なのでしょう。(夏ミカンは木から落ちたもの)
D-3 正面はほとんど剥落し「圓信」の2文字だけ
右側面も同様に右半分が剥落し
信 明治三年庚午二月二十日
右から
D-8 正面 智秀
智照
左側面 秀 天保三年庚七月十二日●
照 天保三年庚八月三日没 2週間後に亡くなっています。
右側面 文政十三年●●●●
裏面 了耀
D-9 正面 了喜
右側面 江州愛智郡干枝村●野四● 現在の日枝なのでしょう。
喜守元治九年●●九月朔●
D-10 これが墓石なのかどうか判然としません。
D-11 正面 了覚
明信
妙濟
右側面 明信名湋当了覚長女宗●●●●
慶應二年丙寅五月廿八日●●●●
左側面 了明治貮十五年四月十日 了覚は明治25年没
妙濟明治三十七年貮月九日 妙濟はさらに後の明治37年
妙濟が亡くなってからこの墓石は建てられたのです。誰が?
右から順に
b これも墓石かどうかわかりません。
D-13 地蔵が刻まれていますが、文字はまったく見当たりません。
D-14 変な形をした中に地蔵を見ようとしたのですが、裏側からの次の写真をみてください。
c 墓石の隙間に小さな五輪塔が転がっています。古いのか新しいのかよくわかりません。
D-15 D-13とよく似ています。これも文字は一切ありません。
D-15 彫刻がD-13より手が込んでいます。印象としてこれが最も古いようです。
涎掛けがあったのですが破れて外れています。
D-16 明らかに地蔵石と台座は別物です。
D-14 ヘンな形をした花崗岩にコンクリートが貼り付けられています。
誰がなぜそんなことをワザワザしたんでしょうねぇ?
ウッカリ者を馬鹿にするため?